Arnaudo "Storytelling in the Modern Board Game"

採録 https://youtu.be/aNt26i86qW0

Marco Arnaudo, Storytelling in the Modern Board Game: Narrative Trends from 1960s to Today.

Jefferson, NC: McFarland, 2018

――「Analog Game Studies」におけるPaul Boothの書評を下敷きに (岡和田晃) 2020年6月26日

【総評】

これはアナログのボードゲームを、ナラトロジーというレンズ(批評ツール)を通して調査する本だ。ナラトロジーを通じてゲームでストーリーを伝える方法と、ゲームにおけるストーリーテリングの重要性についての理解を促進させることを目的として書かれた。

ただ厄介なのは、ゲームスタディーズにおけるナラトロジーとルドロジーをめぐる議論を参照はするものの、理論は現実に自らを適合させるが、その逆ではないことである。そのため研究は、プレイヤー・コミュニティが採用した選択に屈してしまう。ゆえに、本書が理論的なレンズとしての大枠を提示することはほとんどない。

【構成】

序章と第1章、第2章、エピローグは、ストーリーテリングにおけるナラティヴの要素に焦点を当てている。つまり理論を重視している。

まず、ボードゲームは文学や映画と同様のタイプの物語をそのまま生み出すわけではない。メディアで紹介される際には、どのようなタイプの(フレーバーとしての)物語が語られるかを示す反面、ゲームをプレイした結果としてどのような物語が生まれたのかは、ゲーム(研究)を通じてしか語ることができない。ルドロジー要素とコンポーネントは、伝達されるメッセージを構築し、知覚するためのヒントとなる。しかし、それを分析できるのもまた、ゲーム研究だけである。このように閉じた構造があるため、プレイヤーの役割が重要になってくる。プレイヤーは、コンポーネントを操作してストーリー・ブロックを再配置し、内容を解釈し、表象されるコンポーネントと表象する現実の落差を想像力によって埋めるからだ。こうしたプレイヤーの役割は、映画・本・コミック・コンピュータ・ゲームにはない、あるいはいっそう大きなものである。

【各論】

第1章では、13のパラメーターを準備して、ゲームが物語を語ろうとする際に伝えようとするナラティヴの種別を分類する。例えば、「ゲームのコンポーネントが、ゲームの内容を過不足なく表現している」、「プレイヤーが複数のキャラクターや抽象的な要素を操作するのではなく、1人につき1体のキャラクターを操作する」など。それは、ストーリーボードゲームの本質が、いわば世界観そのものをどう表現するかという部分に帰着するということを意味している。

第2章では、ジャンル・視点・タイムフレーム・プレイヤーの識別などを議論しつつ、ボードゲームのナラティヴが伝えるストーリーの特徴を概説する。

「最高のストーリー主導型ボードゲームは、楽しい物語を表現するためにシステムから逸脱せずに済む、スムーズで有機的なルール・システムを通して実現されるものである」と著者は書く。なぜならそのプロセスで、第二世界となる架空世界へ、深く没入することができるからである。ただ、プレイヤーについての議論はBoard Game Geekからのユーザー評価を引用するに留まり、検証が不足している。インタラクティヴなストーリーの分析については、受容理論の視点の導入が不可欠であろう。

第3章では、ウォーゲームからD&Dへ、というお馴染みの議論のために割愛。

第4章では、トールキンの『ホビットの冒険』、『指輪物語』を下敷きにした「トールキン風」ゲームを論じている。「ウォーゲーム・ベースで英雄たちの旅路を表現するもの」(世界観の再現)のほか、「(ロバート・E・)ハワード風」、「(フリッツ・)ライバー風」、「ダンジョン探検ゲーム」のように、個々のキャラクターの探検に焦点を当てたもの。これらを、「集団が目的を達成するもの」か、「個々のキャラクターが競争するもの」か、個別の学術的な分類用語を想像する必要があるかもしれない。トールキン風のゲームが多々列挙されるが、著者は最後に出てくる『指輪物語ロールプレイング(MERP)』を高く評価している。

第5章~第7章では、D&Dの誕生とそれ以降のRPG史、およびストーリーボードゲームを評価。エクスパンションがどんどん追加されるゲームよりも、著者はシンプルなゲームの方を好むようだ。

第8章では、パラグラフ・ベースのRPGとボードゲームをつなぐタイプのゲームが紹介される。『シャーロック・ホームズ10の怪事件』(1981)、『ビトレイヤル』(2004)などが分析される。

第9章では、1980年代から90年代にかけて、ボードゲームのコンポーネントが巨大化するビッグゲーム指向が加速化したことを指摘している。それはボードの中央に巨大な電子タワーを配置した『Dark Tower』(1981)がひとつの嚆矢で、とりわけ『タリスマン』(1983)の登場以降、大型ボックスのゲームの台頭するようになった。そして近年の『グルームヘイヴン』(2017)』、『Hellboy』(2019)が人気を持っている。アメリカン・コミックをベースにした『Hero Clix』(2002)等、コンポーネントの拡大をシステムに活かした作品にも通じている(D&Dミニチュアゲーム等の、コレクタブルミニチュアゲームのこと)。

第10~11章では、1990年代のD&D系ボードゲームから、2000年に出たD&Dの第3版と3.5版に至る流れが主。その前史として、コンピュータ・ゲームがボードゲームを粉砕していたかに見えた状況で、『マジック:ザ・ギャザリング』(1993)のようなTCG、『カタンの開拓』(1995)のようなユーロゲームが注目された。TCGはRPGのナラティヴにコレクタブルカードゲームを組み合わせ、ユーロゲームはゲーム・メカニズムそのものにより注力したデザインをなした。D&D3版、3.5版は、いわばデジタルで完全再現可能なシステムのRPGになったことを著者は示唆する。

第12章では、現代のストーリーボードゲームでもっともアヴァンギャルドなデザインである「レガシー」システムを論じている(密封状態にあり、再プレイが不可能なシステム)。『パンデミック・レガシー シーズン1』(2015)では、都市全体にペストが広がり、後のシナリオでは、それらの都市に居住できなくなるなど、不可逆な影響を及ぼすイベントが起きる。これはいわば、伝統的なナラティヴ研究では「一捻りされたプロット」を、より進歩的な啓示として表現したものである。