Heuser "Reading Clausewitz"

採録: https://youtu.be/hg3Xx1-aXjU

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【レビュー】ベアトリス・ホイザー『クラウゼヴィッツ早分かり』(Beatrice Heuser, Reading Clausewitz, 2002)

 蔵原大

初出:Analog Game Studies http://analoggamestudies.seesaa.net/article/181850018.html

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 今回は、クラウゼヴィッツ『戦争論』の解説書として有名な、2002年に出た本を紹介します。

Reading Clausewitz

Reading Clausewitz

  • 作者: Beatrice Heuser
  • 出版社/メーカー: Random House UK
  • 発売日: May 2, 2002
  • メディア: Paperback



 ゲームや小説ではよくあって現実にはあんまりあって欲しくないこと「戦争」はどうしてどんな風に起きるのでしょうか。大雪や台風とは違って人間が引き起こす現象「戦争」のメカニズムを読み解くことは、(現実の政治家や軍人の方々はもちろん)娯楽のゲームや小説を作る方々にとっても有意義なはずです。その知識を応用して物語を現実っぽくできれば、読み手をその話にグッと引き込むことができますからね。

 そう考えますと参考になりそうなのが、まさにクラウゼヴィッツの『戦争論』(Vom Krieg)。政治と戦争との関連を理論立てて説明した最初の本ともいわれるこの本、しかしちょっと難しい。しかも専門家の間でさえ解釈が分かれるというのだから本当に難しい。それもそのはず、クラウゼヴィッツ本人でさえ自分の本は難しいと困っていたくらいですから(*1)。う~ん、もう少し便利な本はないものでしょうか。

 というわけで遂に出ました。『クラウゼヴィッツ早分かり』(Beatrice Heuser, Reading Clausewitz, Pimlico, 2002)。クラウゼヴィッツの生涯と『戦争論』の主張をまとめ、続いてこの2世紀に渡って『戦争論』がどんな風に読まれ、どんな風に解釈されてきたのかを説明する同書は、欧米圏での大学では政治や軍事の世界を志す人々の教科書となっています(しかも安い。2011年の今の為替レートですと1,500円くらいかな)。いわば『戦争論』のレビューですから、今回の記事は「レビューのレビュー」ですね。

 全8章の構成は大体以下の通りです。

 ○ 1.その人とその本の物語
(The Story of the Man and the Book)

 ○ 2.観念信奉者クラウゼヴィッツ vs 現実主義者クラウゼヴィッツ
(Clausewitz the Idealist vs Clausewitz the Realist)

 ○ 3.政治、クラウゼヴィッツの三位一体、政軍関係論
(Politics, the Trinity and Civil-Military Relations)

 ○ 4.兵数を凌駕する要素:天才、士気、兵力の集中、意志と摩擦
(Beyond Numbers: Genius, Morale, Concentration of Forces, Will and Friction)

 ○ 5.攻勢・防勢論争、殲滅戦、総力戦
(The Defensive-Offensive Debate, the Annihilation Battle and Total War)

 ○ 6.クラウゼヴィッツの後輩:コーベットと海軍戦略、毛沢東とゲリラ戦
(Taking Clausewitz Further: Corbett and Maritime Warfare, Mao and Guerrilla)

 ○ 7.核時代のクラウゼヴィッツ
(Clausewitz in the Nuclear Age)

 ○ 8.21世紀におけるクラウゼヴィッツの妥当性
(Clausewitz's Relevance in the Twenty-First Century)


 とまぁ面白そうな題目が目白押し。例えば「第1章」で言及されていますが、乱雑メモの山だった『戦争論』を出版に至らせたのはマリー・フォン・クラウゼヴィッツ奥様だった話、ご存知でしたか? もしかしたら私達を感嘆させている『戦争論』中の警句のいくつかは、男性のカール・フォン・クラウゼヴィッツ夫君じゃなくて女性のマリー様の発案だったのかもしれません(*2)。大貴族出身で教養豊かだった彼女なら、十分にありえそうじゃないですか。かくて19世紀、軍事の領域において女性の聡明さは目覚しい成果を上げたのです。

 また特に気になったのは「第3章」(特に52~56頁)が取り上げた『戦争論』中で最重要の一つともいえる「三位一体」論の紹介。ここの、戦争とは、
 ◇ 憎悪・敵愾心といった本来的激烈性  ⇒ 国民
 ◇ 蓋然性・偶然性といった賭の要素   ⇒ 軍隊
 ◇ 理性に基づく政治的道具としての性質 ⇒ 政府
の「三側面が一体化したことをいう」(*3)についての解説は、戦争を扱う作品を制作したり批評する(だけでなく政策立案の)際には明らかに参考となるでしょうね。戦争の本質論に斬り込んでいるわけですから。

 さて「三位一体」に関する「第3章」の箇所では、その論を生み出した社会背景の説明に始まり、趣旨(大きく取り上げられているのは「三位一体」の二重性)及びクラウゼヴィッツの論説が現代の戦争にも適用可能かどうか、ジョン・キーガンやマーチン・ファン・クレフェルト(どちらもコテコテの反クラウゼヴィッツ主義者)を引き合いにしながら分析されています。その結論は、「三位一体」論には限界もあるけれども「クラウゼヴィッツの考えを時代遅れとして斥けるのは適切とは言いがたい」(*4)ということだそうです。しかしなぜそうなのか、また何が争点なのか、詳しい内容は皆さんの肉眼でご確認ください。

 そうそう社会性ということでは、以前にゲームの社会性を分析した齋藤さまのAGS記事にも関連しますね。

  ○ 会話型RPGにおけるメタ化(齋藤路恵)
 ( http://analoggamestudies.seesaa.net/article/171331478.html )


戦争文化論 上
The Transformation of War



 もっとも「三位一体」論には批判すべき点(政治の作用を強調しすぎる、文化的視座が抜けている等)もあるといわれていますが、それに関しましてはファン・クレフェルトの『戦争文化論』(原書房、2010)やThe Transformation of War(戦争の変遷)などで詳しく解説されています。皆さんもお買い求めになってお確かめください。

 さて、『戦争論』が分かりにくいという話に戻りますが、『クラウゼヴィッツ早分かり』では何故に『戦争論』が誤解・誤読されやすいのかについて、その「第2章」でクラウゼヴィッツ本人とその読者の双方とも良くないですねと評されています。つまり、まずクラウゼヴィッツが「観念信奉者」「現実主義者」という二通りの立ち位置から書いた複数の考えが(何度もいいますが未完成の)『戦争論』中でゴッチャになっている上、しかも読者の大半はそれを知らずに一方的な物の見方を引き出そうとしている、だから混乱が生じるんです、ということなのだそうです(*5)。

 ちなみに著者のホイザーさんが(クラウゼヴィッツ側の問題として)批評した「観念信奉」と「現実主義」の対立というのは「戦争に関する二つの物の見方」(two views of war)、あるいは戦争の善し悪しという倫理的問題にも関連していまして、極度に単純化すると戦争の暴力性(または「絶対的戦争」という暴力の究極的発露)を認知するかどうか、という話でもあります(*6)。

 観念的には戦争が暴力の発露であることを認めるとしても、人道に配慮するなら暴力の厄災を放置するのは適切でないし、費用対効果的にも徹底した暴力の発露というのは必ずしも得ではない。『クラウゼヴィッツ早分かり』では「クラウゼヴィッツの未完の著作における緊張と矛盾はおおむね、実世界における諸々の事実や緊張の間に存在する葛藤に起因している」(*7)と指摘されています。表現を換えれば、政治の悪を認めた上で効率的に政治を行なうのか、政治の悪は断固許さないという構えで善政を断行するのか、古今東西の尽きせぬ悩みが『戦争論』曰く「他の手段をもってする政治の継続」=「戦争」の解釈に際しても現れているのかもしれません(*8)。

 この解釈の話は「第7章」「第8章」の主題でもありまして、この百年間、クラウゼヴィッツの論旨がどこの国ではどんな風に解釈され賛否されてきたのか、という歴史的流れが詳解されています。中でもへ~えっ面白いなと感じたのは、在りし日のソビエト連邦における『戦争論』の扱いが、建国→第二次世界大戦→冷戦を経て終焉の時まで大波よろしく上下にうねってきた経緯でしょうか。

 その経緯は、明らかにソ連とドイツとの外交関係に影響されていまして、一応クラウゼヴィッツは「ドイツ」ではなく「プロイセン王国」の軍人だったにもかかわらず、(ドイツとの提携を模索した)レーニンの時代には偉大なドイツ人よと誉めそやされ、(ナチスドイツと戦った)スターリンの時代にはドイツ・ファシスト野郎めと嫌われ、そして冷戦になって西ドイツを含む「帝国主義」勢力を殲滅するのは無理だと分かってくる頃にまた評価が上がる(*9)。

 これは別の言い方をするなら、ある社会における『戦争論』への評価は、その中身の普遍的価値から生じるのではなく、むしろその社会における支配的な思想信条が『戦争論』を好むか憎むか、まさに読者側の特殊事情によって基本的に決定される、ということでしょうか。今の日本人の大半が『戦争論』に無関心だとしたら、それは『戦争論』のような社会分析の本を嫌うような事情が日本人の側にあるから?、かもしれません。勿論だからといって、ほら現代社会じゃ『戦争論』は役立たずなんでしょと言うのは、情報の普遍性を弁えない本末転倒論に陥ってしまいます。しかしそこで「良書」の規準は結局のところ読者の眼力に係っている、と一般論に還元してしまうと何故か白けてしまいますね。

 とまあこんな風に、あの『戦争論』も所詮ただの本っす、特別神聖な経典じゃないっすよ(*10)、でも二世紀に渡って世界中で読まれてきたベストセラーなんすよ、という当り前の事実を縷々説いたのが、殊勲甲のホイザー『クラウゼヴィッツ早分かり』なのでした。

 で、それが小説やゲームにどう関係するかって?

 創作としての物語で重視されるのは、まずもって筋道のロジックですよね。理路整然としていないと製品やプログラムにならないのですから、それは当然でしょう。その反対に偶然性、もしくは不透明な情況で物事がどうころぶか分からないという不確実性は、表現が難しいという理由からか、そんなに顧みられないのではないでしょうか。えっ、ランダム要素ぐらい誰でも分かってるって? それは良かった。ではでは先程の「三位一体」(感情・偶然・理性)に関連してクラウゼヴィッツ曰く、

戦争論〈上〉 (中公文庫)
これらの三要素はあたかも鉄則のごとく深く戦争の本質に根ざしているものであって、場合に応じてそれら三傾向の各々は戦争に対してさまざまな比重をもってくるものである。したがってそれらのうちのどれかを無視したり、あるいはそれらの間に恣意的な関係を設定したりするような兵学理論はすぐさま現実世界とぶつかり、それだけでもそのような兵学理論は無価値なものとなってしまうだろう。それゆえ兵学理論を論ずる場合には、われわれはこれら三傾向を常に顧慮し、それらがあたかも三つの引力のように相引き合っている間にあって、不即不離の関係を保たねばならない(*11)。


 どうです、クラウゼヴィッツの言わんとする意味、お分かりでしょうか?

 私もそうでしたが、無理せずベアトさんの御本を買いに行きませんか?

 彼女も喜びますよ。
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