パチンコ産業史

韓載香『パチンコ産業史』(名古屋大学出版会、2018)


第一回採録 (第69回 /20200228)


第一回レジュメ

序章 存続可能性をかけて

パチンコ論の現状
・否定的な現状批判 地下経済
・産業の担い手の称賛 課題の等閑視
・学術研究 日本の文化特殊性 民族史

パチンコ研究の意義
・日常性 カジノとの対比 戦前の移動式露天から店舗へ 日常性の獲得と市場規模拡大
・規制産業 体制からの規制 プレイヤーの自己規制
・機械の開発リスク

存続可能性
・パチンコ廃止論
  1951年池田勇人答弁による批判
  賭博性の低いことからの存続擁護「小市民的」
  射幸性の増大による弊害 1955年東京都公安委員会による連発機禁止
  世論を意識した射幸性の調整へ
・巨大市場
  1996年総務庁報告 事業収入額30兆円
  2015年現在、パチンコホール11310軒、企業数3572。5年間で28%減少
  50年代から90年代の発展過程 長期存続の模索

・起源 杉山和夫によるウォールマシン起源が定説
  パガテル→ウォールマシン→1920年代日本移入→30年代パチンコとして定着→41年禁止

パチンコに対する見方 周縁視
・80年代 パチンコ研究の本格化 ジャーナリズム→アカデミズムのタイムラグ 統計不足
・「遊び」資料不足の問題 77年『レジャー白書』
・在日韓国・朝鮮人との関係性の象徴化 リ・ミンジン『パチンコ』

供給主体
・パチンコの日本特殊性論 消費者主体 文化論 風俗史 賭博史
・消費制約は社会的イメージを除けばフレキシブル
・供給側の企業行動制限 規制と世論
・供給産業の発展史

課題
・パチンコホールと機械開発メーカー 規制と人気による不確定性への対応
・エスニックマイノリティとの関わり コミュニティの機能と社会的通念の比較

時期区分
・創世期 1949-60 ホール数のアップダウン 連発機禁止
・第二期 1960-80 メーカー間競争 緩慢な成長
・第三期 1980-90年代 顕著な成長期

第一章 パチンコ産業の始動

・1948 「風俗営業取締法」交付 ホール開設に公安委員会の許認可が必要となる
・1949-52 のホール数成長 4818→42168
・社会からの批判的意見

・1954年からの急激な減少
  通説 1955年の「連発式機械の禁止措置例」の影響
  1953年にピーク 部分的修正の必要
  ホールのビジネス確立期

・パチンコブームにおける機械新技術の決定的役割
  1948年正村ゲージ 50年にわたりスタンダードに 客の支持による標準化
  偶然性とスキル介入 台選択と打テクニック
  玉循環速度向上

  オール物 連発式 玉の循環機構 モーター式→時間あたり発射数の飛躍的増大 射幸性向上 射幸性追求

  1952年の煙草売上増加に基づくパチンコ売上高 700-800億円
  公営ギャンブル第一位の競輪の1.2-1.5倍 戦後復興期最大のギャンブル娯楽産業

・M商会
  機械開発、ホール経営、機械販売
  釘の開け締めの指導 講習会
  人的関係 弟子 グループ化
  全国的任期 模造品
  生産 徹底した品質管理 ←出玉が釘だけでなく台の物理的特性による

・連発式禁止以前のホール減少傾向 機械出荷額は増加
  ホール平均規模拡大を伴う淘汰
  開店ラッシュにより経営側知識が伴わない
  客のセミプロ化
  一般客の投資額の限界性
   ←それまでのノウハウ、釘調整による事業安定化の困難

・1948「風俗営業取締法」玉の値段、景品額の上限等が決められる
・1955「連発式機械の禁止措置例」「射幸性の高い機械」の禁止
・遊戯と賭博 換金問題 景品交換の「買人」の存在 買人からホールへ景品の環流 暴力団資金源
・ホールの急減、機械生産額は前年比四分の一

・機械体系の転換 連発式から単発式へ
 新規参入から台入れ替えへの機械主要需要の変化
 機械寿命の長期化による入れ替え期間延長 定期的入れ替え 人気寿命
 M商会の衰退 全国企業から地方企業へ

・収益基盤の安定化への模索
  釘調整ノウハウの蓄積 営業コントロール 「堅実」化
・景品交換ルート改善 暴力団排除としての三店方式(短所は1961、60年代全国的定着)
 特殊景品買い取り所と仕入れ先の景品問屋がそれぞれ一社として組織化
 自由競争の排除→可視化
 事業安定化による受け入れ

・不安定という産業化への困難→規制という外的要因によっての克服
 射幸性の抑制、平均投資額の低下
 機械の持続的開発の基盤づくり → 60年代機械市場の組織化へ
  技術的後退 ホール数減少 技術蓄積の不在

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